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猫の魚辞退

タイトルは長続きしないものの例え。映画・読んだ本の感想メモ。追記したり書き直したりも多いからあんまあてにならない。 日付は観た日付とは限らない。

2025'05.06.Tue
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2009'01.14.Wed
あぁ、結婚生活』をギンレイで観た。
予告編が凄く面白そうでねえ・・・。

若くて美しい愛人とラブラブの中年男が、妻の毒殺を計画する。
「妻には俺しかいないんだ。苦しめる位ならいっそのこと・・・!」
しかし妻にも実は若い愛人がいて「恋人を愛しているけれど、夫には私しかいないし・・・」と悩んでいて・・・という話。
軽妙洒脱かつブラックな魅力的小品を想像するではないですか。

旦那の方がどうしようどうしようとぐるぐるしているうちに、
旦那の友人で独身貴族のピアース・ブロスナンがまるっと愛人をかっさらい、
結局後は元鞘に収まって、そのまま終わりました。
せめて、あの清純そうな愛人が実は物凄い悪女で、ピアース・ブロスナンはケツの毛まで毟られる位の酷い目に遭う位のオチがないとやっていられないよ、と軽妙でも洒脱でもない、逡巡や誤解のぐだぐだに耐え、最後の最後まで期待して見続けたのに。

こういう話をそこそこ「軽妙洒脱かつブラックな魅力的小品」にできるアメリカ人は、もうウッディ・アレン位しかいないのでしょうか。
昔はたくさんいたような気がするのだけど絶滅したのですね、きっと。
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2008'10.09.Thu
荒野へ (集英社文庫 ク 15-1)荒野へ (集英社文庫 ク 15-1)
ジョン・クラカワー (著), 佐宗 鈴夫 (翻訳)

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・・・の映画化である『イントゥ・ザ・ワイルド』を観てきた。
きちんとしたお家の若者が、何もかもを捨ててひとり荒野を旅し、餓死するという実話。

一歩引いて見れば、頭でっかちのコドモの暴走、なのだ。
でも、暴走族にあこがれるコドモがいるように、「たったひとり荒野で死ぬこと」をかっこよしとする見方もあるだろう。

映画は主人公を肯定も否定もせず、もう淡々と、ほんとに淡々と、家族関係に傷ついた若者が、「何か」を追い求め、ひたすらアラスカを目指す様子を描く。
旅の途中で色んな人に出会う。人と関わって、影響されたり、影響を与えたりする。
息子が行方不明になった両親は、哀しみ、哀しみの中で変わっていく。

「一人旅」の映画で実際描かれているのは、「人と人」だった。
どんなにいきがったって、結局人は一人では生きられない。
幸せは誰かと分かち合ってこそ。

最期に主人公が見出した光もまた。


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・・・とはいえ、何かに憑かれたように一人旅をし、死んでいく話の女性版、アニエス・ヴァルダ監督の『冬の旅』の方は、誰とどう出合っても、どんな恐ろしい目に遭っても、ひたすら頑固に一人で旅を続ける主人公の様子から受ける、ひたすらに「人は一人」な感じがすさまじかったのも思い出されて。

監督の人生観、みたいなものによって、この手の話は印象が全然変わってくるのでしょうね。

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主人公の父親役の、しおしおとした禿げたおっさんがウィリアム・ハートだということに、最後まで気づけなかった。好きなのに。だめじゃん私。
2008'09.13.Sat
フランス映画の秘宝引き続き。
データ、解説は公式サイトより。

海の沈黙 1947年/88分/35mm/白黒/監督:ジャン=ピエール・メルヴィル
a silence de la mer
ナチ占領下のフランスの田舎で、ドイツ軍に自宅を徴発された老人とその姪は、ドイツ軍将校と同居することになる。フランス文化を愛し、両国の融和を信じる将校は対話を試みるが、二人は沈黙で応対する。本作を見て、J・コクトーは自作『恐るべき子供たち』の映画化をメルヴィルに依頼したといわれる。レジスタンス文学の名作を原作とするメルヴィルの長編第一作。

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これぞ秘宝!!!
もうこれが観られただけで、このイベントに通った価値はありました。

『かくも長き不在』といい、フランスの人は、何も暴力的なことは描かずに、戦争の恐ろしさを伝えるのがどうしてこう上手いのでしょう。
暴力より何より、魂が蹂躙される事が恐ろしいのだ、という価値観がはっきりしてるからかな。

タイトルの出し方もかっこよかった。

男が一人、塀に寄りかかって立っている所へ、トランクを下げた男が近づいてきて、塀の男の足元にトランクを置き、立ち去る。
立っていた男がそのトランクを抱え上げて蓋を開けると、衣類の下に新聞の束があり、さらにその下に一冊の本が入っており、その本の表紙が映画のタイトル・・・という感じ。
原作本自体が、ドイツ占領中のフランスで出されたものだそう。

占領下でも、「ドイツ人は全員ナチ野郎」のような単純化をせずに、フランス文化を愛するよいドイツ人をメインで登場させて、でもそんなの権力の下では別に何の役にも立ちませんよ、という展開にする懐の深さってば。
2008'08.18.Mon
Burtynsky - China: The Photographs of Edward BurtynskyBurtynsky - China: The Photographs of Edward Burtynsky
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いまここにある風景』を観てきた。
写真家のエドワード・バーティンスキー↑が、中国の産業の急速な発展が生み出した風景を撮影するドキュメンタリー。
・・・なのかな・・・。

写真家が撮影する様子を描いていることもあれば、中国の発展が生み出す環境破壊を訴えようとしていることもあって、映画としての焦点はぼやけてた気がする。
写真展のすみっこで上映するフィルムみたいな感じ。

延々と続く工場の流れ作業、巨大なダム建設とそれにより追い出される住民、「リサイクル」の名の下に集められた部品たちが汚染する大地・・・。
雄大で圧倒的で恐ろしい風景。

とにかく写真の構図が実に美しく、美し過ぎるあまりに、訴えようとするテーマを見失いがちになりそうだと案じていた。
でも映画を見たら、写真家の方でもまず「かっこよく撮る」が第一義に見えた。
というか、「工場萌え」とスタンスは同じような気が。
思想がない所に後付けした感じが「薄さ」なんじゃないかしらん。

ま、どうあれ全ては人間の営みであり、それもまた自然の一部として美しいのである、と思ってもいいのか?うーん。
2008'08.07.Thu
歩いても歩いても歩いても歩いても
是枝 裕和

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↑これはノベライズ。映画を観た。

<めも>
*会話が軽妙。どこからがアドリブ?みたいな。
*とはいえ、恐らくは緻密な計算に基づいて演出されているはず。たぶん、セリフ以外でも、風呂場の割れたタイルから人の座る位置まで。
*それはドキュメンタリー畑の監督が培った演出力な訳だから、逆に言うと、ドキュメンタリーというのも演出が大事ということだ。
*平日夕方の観賞は年配の人が多く、まるでフィルムセンターみたいに気楽で和やかな笑い声が絶えなかった(いい意味)。
*観た後、時間がたつごとに「いい映画を観たなぁ」と噛みしめる感じ。
*年を重ねる毎、監督の作風が柔らかくなってきていていい。
*会話が上手いといえば最近観た『ぐるりのこと。』だけど、あちらの会話があけすけだったのに対し、こちらは寸止めというか、愛想はいいけれど、後で思い返すと意味が判ってぞっとするようなものが多い(でもその方が自分にはしっくりくる)。東の人の方が実は意地が悪いのかな(監督の出身地による文化的下地の違い?)。
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