2010'03.08.Mon
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・・・の映画版。ずいぶん前に観たんだけれど、感想聞かれた際に言葉足らずだったなぁと思ったので、自分の考えを消化するために。
冒頭、主人公の少年の孤独っぷりが描かれるのです。お父さんはなく、年の離れたお姉さんとその友達からは相手にされず、お母さんは家に恋人を連れてくる。
淋しいよ!もっとこっちを見てよ!構ってよ!わー!!!!・・・と、少年はマイナスエネルギーを爆発させて暴れ狂い、家出して、「かいじゅうたちのいるところ」に辿り着きます。そこで「自分は王様」と嘘をつき、欲しかった「中心」の位置を得るのです。
観ている薄汚れた大人な自分としては、出てくる「かいじゅう」たちのキャラが、主人公の色んな内面や、欲しかった母性がばらけて出てきたものにしか見えないのです。
特に、一番のトラブルメイカーなかいじゅうは、怒れる主人公にそっくり。
結局、色んな(かいじゅうとしての)個性はそうそう妥協点を見出せず、嘘はばれ、ユートピアは崩壊して、暴れかいじゅう(=自分の怒り)と対峙せねばならなくなる主人公。
ああああああ逃げても逃げても、自分の嫌な面とは対決しなければいけないものなんだよ!やっぱり!!!
少年の一番の敵は自分自身で、それと対決して、乗り越えて、成長する・・・という解釈って自分としても安直だと思うんだけど、それをとっぱらって、「わー!かいじゅうたちかわいー!」と楽しむには、テイストがダークすぎたんですよ。
果たしてこれは子供は楽しいのか?それとも、子供と大人は注目する所が違うから、それぞれ別のとこ観て楽しめるのか?全く分からない不思議な映画でした。
それと、腕をもがれたかいじゅうが、その状態で放置されたのは酷い。たぶん自分が子供だったらトラウマになったと思う。
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