2008'09.12.Fri
![]() | ボスニア内戦 [国際社会と現代史] 佐原 徹哉 有志舎 2008-03-13 売り上げランキング : 162422 Amazonで詳しく見るby G-Tools |
旧ユーゴ関連の本を何冊読んだか分からない位なのに、未だにさっぱり何があったか把握できていない。
読めば読むほど分からなくなる。
当事者達も、セルビア人とクロアチア人とムスリムの3民族に分けて、物事を単純化し、権力抗争や戦争の名目に活用していた部分はあるし。
他国も紛争への介入時に、やっぱり同じようにぱっきり分けて、どの民族が正しいだの悪党だのレッテルを貼って理解しようとしていた。
でも実際はそんな単純な分類では済まないわけだし、「正しい事情」は星の数ほど存在する。
そして、民族が3つに分類できようとも、結局、同じような文化の下で殺戮しあったからこそ、事態がエスカレートしたと言えるそうな。
本書は、ボスニア内戦を題材に、「ジェノサイド」について分析した本。
もう誰彼構わず無差別に殺すのは「マス・キリング」で、特定の集団を殺すのが「ジェノサイド」なのですね。知らなかった・・・。
組織立って行われた殺戮も多いのだけど、常々思っていた日常的な嫉みや欲望が(隣の奥さん綺麗だな、とか、向こうのブドウ畑の方が何で儲かってるんだろう、とかそういうレベル)、「民族紛争」を言い訳に爆発した集団殺戮も数限りなく。
規律やら規制やらが外れたり、または何らかの名目が与えられてしまったら、人間は何をやらかすか分からないですね、という事実が一番印象に残った。
今、日本で起きる通り魔的な犯罪って、犯人が「誰でもよかった」と答える事が多い。
本当に「誰でもよかった」のか、何かもやもやとした対象があるのに、それが上手く言えないから「誰でも」になってしまうのか、どっちなんだろう。
今、「格差社会」位しか用語がないけど、その格差に、もっと区別の付けやすい分類方法があったなら、より対象が絞られて、よりピンポイントな犯罪も起こるのかも、などと想像したり。
何事も、分類方法を作って、ラベルを貼って、単純化すれば分かり易くなる。
でもそのせいで物事の本質が見えなくなったり、また、状況が悪化したり、することも多いのだよね。
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